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いろいろ中が変わってます。

愚痴2

ITや科学の知識に関して、一般より抜きん出ているにも関わらず、腫れ物扱いされる可能性が高い理由を考えてみた。

現に自身が、人間関係構築や対話において人より著しく苦労を感じているからここにおいてじっくり考察してみたいと思った。
また、これによって今後のバイト活動やこのブログでの活動を少しでも優位に勧められたらと思う。

思いついたままに書いてくので、話が行ったり来たりしますが、予めご了承頂ければと思います。 


(特に日本国内で)1%以内に入るくらいに入る水準でも、普通の人よりぞんざいに扱われる人が非常に多く感じた。その理由を考察してみる。
一般的には、できない人からの嫉妬だとか、コミュニケーション能力が低いからだと言われている。どちらもある程度は納得行く気もするが決定打に欠ける気もする。
大学院やそれ以降の話は私は疎いので、大学生周りの話を主軸に展開させていけたらと思う。
ぶっちゃけ科学云々などによらず、コミュ力が高めのいわゆる陽キャと呼ばれる存在であれば、友人をはじめとした人間関係やバイト、職業や院以降でも苦労しないのではないかと思った。では逆に、こう言ってはなんだが、取り柄がなく、かつ良い対人関係が築けず幼稚園、小学校から苦労してる人もいるだろう。
そんなのを考えていくと、世間一般からは需要が一見ありながら実際はガラクタ扱いされている、人々がいてそれを嘆いている、それが偶々バズったり槍玉に挙げられたり、私の目に止まっているだけではないかと思った。
ここまで書いて、私はこの記事を書くのを辞めようかと思った。無意識の差別的内容も入ってしまっているのではないかと危惧している。
主題を変えよう。対人関係が著しく築けない人がどうしたら救われるかを考えて行こうと思う。
勉強ができるのにも関わらず〜と言われるのには、いくつかの理由が考えられる。
・純粋なる対比、先入観、稚拙なイメージ
・実際に一部の人がそうだから、
もしあなたが、幼稚園、小学校、中学校と進む中で、全く噛み合うことがなかったらどうであろう??何をするであろう
ここで注意しておきたいのは、対人関係が築けないことによる将来への危機感から勉強を始める、尚且そういう人が上位層に入っていると考えるのは、あまり頭のいい推測とは言えないと個人的には思われる。なぜなら、そんな危機感からの勉強だけではどこかで折れる関の山だからだ。
誰とも噛み合わない結果、ほとんどの友達とも噛み合わない、噛み合ってもごく一部のときに、熱中できることの一つに勉強があるのではないか(勿論これも稚拙な一つの可能性を提示しただけだが…)
他にも考えられる。子供の知的好奇心が高めで、小さい頃から頭のおかしい額を教育につぎ込めれば子供はそっちの方に、望んでかは望まずかは知らないが、向かっていくだろう。いやいややった、勉強に拒否感を覚えた、ただ小さい頃からので受験や学歴へのコンプレックスを覚えたとなればそこそこには悲惨かなと言えなくもない。(最終的には、本人なので、良い方へ転じるパターンもある。灘中に落ちて、理三受かったり、筑駒落ちて、理一受かって、その後楽しく金にも困らず励んでいるようだ。両者ともトップクラスで本人達はそれでいいだろう。余談だがイキりまくっていて私は彼らがこの上なく大嫌いなのだが…)
話題がそれた。修正しよう。
そんなこんなで、少なくとも自然科学と向き合えることは、少なくともその人に内向き指向の気はどこかにある場合が多いといえよう。

自然科学や論理に敏感であるために、他人の話す赦し難い矛盾を感じる場合もある。他人にとってみれば、些事である。指摘しようがしまいが、少なからず軋轢が生まれやすくなる局面ではなかろうか??
実感がわかない人は、身近なものに置き換えてみよう。好んでいるキャラが、他の人から全部一緒じゃんと言われたら少なからずむっとするであろう?嫌いな物のこだわりと好きな物のこだわりをぞんざいに取り違えられたり粗末に扱われたら多少は距離を起きたくなるだろう?
(これでも、なんの軋轢も生まず人とやってけるならそこそこには凄いと思う。)

う~ん気持ち悪い方向に行き過ぎたし、オーバーに表現しすぎた気がする。文章がうまく伝わるように書けん。

書いていて思ったが、ここまで書いたことさえも対人で不和が生じてしまう理由のごく一部でしかない気がした。
何が気持ち悪いって反例もいっぱいあるからだ。理系で優遇されて、多くの友人に囲まれている人もいる。
他人をそもそも嫌うのか?(一人の時間が個人的には最高だと思っている節はなくはない。勿論、最低限の文化的生活を前提として)
全く話は変わるけど、人間が嫌といっただけで、愚痴愚痴と説教しだす人種は何なのか?そういうとこやぞと言いたくなる。人間が発する音と遮る視覚にうんざりする部分もある(何様だよとそれはそれでなる。)要は、こう考えていくとこの二十一世紀には向いていなかったのだろうなぁと熟思う。


人によっては、サブカルチャーに弱い人もいるかね?(オタクもそこそこ多い気がするが…)

う~ん完全に愚痴になっているが、

黙々と作業したり、プログラミングすることなら今の私ならお金を貰えるなら喜んで受け入れるのだがねぇ

そもそもバイトの面接というのが理解できない。信頼できる書類と、仮バイトでペーパー作業やって送るだけというバイトがあったっていいではないか??

逆手に捉えれば、国内では知識は生かされてないし、無くてもできることで実質溢れかえっているのだろうなぁという気がする。
野蛮人から賢者まで誰に対しての需要にも快く応じられストレスを溜めない人がうまくやっていけるのだろうなぁとは思う。(医者とかも大変そうだなぁと……)

研究職でもコミュニケーション能力が求められるらしくてウンザリしますよ。教授ガチャを外せば、学問の道は結構塞がりますし………

仕事が嫌だ→▲
対人が不快→💮💮💮

無言でタスクこなしたり、無期限で好きな研究ができるんなら喜んでやるけど、そんな理想郷こんなとこには存在しない……

じゃあ、存在しない、役に立つことしか需要がないのかのように頭の悪い人々はいうが、本当にそうであろうか??

農家や食肉を扱う人たちがそこまで優遇されているのであろうか??
私にはなんとも言えない。そんな気もするが、本当に人間にとって必要な衣食住に携わっている人はどれくらいいるであろうか??

ある程度の人は、本当には人間には必要ない地位にいるような気もする。少なくとも職務を到底全うしてるとは思えない人種もいる。
誤解を恐れず言えば、発展の余地があるとこより早く消える職種も多々あると思うのだが???
座っているだけで金を貰える職は端的に言ってムカつく。話すらしないとこになぜ需要が生まれるのだろう??雇う人から気に入られれば座っているだけで金を貰えるとはいいゴミ分だなと思う。その上、本人は仕事しているとのたまい、職についていない人をこき下ろし見下せるのだから。

変化を嫌い惰性で動く人々では、そんな碌でもない人にも真の価値を見抜けず高額な金を払い、本当に必要なものを提供してくれる人や発展開発の余地のある人を雑に扱ったりも過去の経験〈伝統〉の名の下に何も考えずできるのだろう。

でもここまで書いて、自分にもある意味機会はある気がしないでもない。
もし今書いたことをなし得る世の中なら、自分は本当に無能な人として切り捨てられてしまう可能性もあるのだから。

まあどうであれ救いがない場合も無きにしもあらずな気もする。

人人
必要なものに必要な金を払う。
↑理解できる。

だが、私には食料や住居を提供できる土地もなく、料理を振る舞える資格もない。
今、ブランド品やら、ちゃんと仕立てられた服が大量に存在する中、私にはそれに太刀打ちできるような服を作ることはできない。

人人
不要なものには金を払わないというのが妥当であるが、
ここで、不要なものにも金を払う場合がある。

要はここを狙い目に多くの人は他の人間から資金を巻き上げているのだろう。
だが、なぜ?
不要な、必要なは、ここまでは人間の最低限度の生活くらいを目処に考えてきた。
しかし実際はそうではない。
お金を持っている人の中には、少なくとも生命活動をする上で不要なものにお金を払ったりする。

う~ん、まずこの心理を把握しきる必要があるんでしょうねな気はしてる(?)


金持ってる人間ほどわけわからんことにも金を使うのでわけわからんし、憎い。

そっか、改めて気づいたけど、自分よりも金を持った憎い人間から金を乞わなきゃいけないのか…今更ながら暗澹たる気分になってしまう。

この切り口で考えても、お金って入ってくるシステムあるいは品物を作れるものなんでしょうかね………???

でも正面から演繹的に考えた結果のはこの切り口だしなぁ。
自分よりお金を持ったお馬鹿な野蛮人相手にものを売らなきゃいけない……
なんて考えたらだめなんでしょうねぇぇ。

ヒット商品を仮に作ったとしたって、時事的な効果しかなくて、ベーシックインカムのようにはなり得ないわけだし……
 
うーん気分が最底辺レベルにネガティブで生産的なことが思い浮かばないので、ここらでまた今度にしようかな……