日々更新する予定のブログ

いろいろ中が変わってます。

勉強をする理由

タイトルが気に食わないけどほかに思いつかないので、勉強をする理由と書いてみた。

 

 

昔ある日突然、勉強し始めた時期があった。中学くらいだと思う。その前も小6とか小1とかでたまに猛勉強することがあった。

 

もう一回命を削るくらい勉強をするか。(ただ、バイトとかがあるので、純粋なる勉強に打ち込むことはもう一生たぶんできないんだよなと)

 

純粋なる勉強に打ち込むことはもう一生たぶんできないんだよなと

 

どんどん、自分のペースでは生きられなくなっていき、ペースを失い、自然な思考は消えていく。

社会という、一元的に確定された渦ですらない渦に飲み込まれていく。渦という二次元を保つことなく、一直線に不可逆的に自らの判断や思考を再度奪われていく。

どうしてこの責め苦に耐えられようぞ。

 

ならば、と最期に全力を以て再燃しようかとおもう。

じゃあ今までは全力ではなかったかというとそうではない。

それに全力なんて言うものは、簡単には定義されるべきではない概念なのだ。

 

一番に結果を出せることが全力??一番に過程をもがいたものが全力??一番苦しんだものが全力??

 

そんな簡単に一意に定まるものではないし、日常における全力はすべて文脈によって異なる。そして、他人に全力を強要するときなどは、確実に発言者の都合によりなす単語文章の意味が定められ、自分が全力を出したというときは、自分へのいいわけか、自分のよい結果に対する努力とやらの最大限のアピール程度のものだ。

 

私はそもそも、文脈次第で変化しうる言葉、ことわざは大嫌いだ。本人の都合のコンテクストによって定まり、かつそういった言葉は見かけだけはでかいので、無駄に影響力がある。幻の大刃だ。ありもしない幻術で他人を切りつけるなんて、見てて見苦しい。しっかりと、定義から考えてあげればそんなもの定められないのだから。

 

おっと、全力なんかの定義はいづれまた話すことにして話題を戻そう。

 

 

ちょっとまた、今までと勉強に対する方向性と大きさを変えてみようかなと思い始めた。昔を思い出したからだ。ーいくつかエピソードを入れよう。ー

 

小学一年生、宿題がやばくて計算ドリルとか漢字ドリルをめちゃくちゃやって、そのまま範囲が大量にあったから、全部解いてしまったんだっけ。

 

小学六年生、歴史に関することにはまっていた記憶がある。

 

中学に入ってからは、勉強にさらに時間をつかうようになったっけ。その時の勉強の理由なんて、勉強しない方がマシのレベルで下らないと思う。好き放題、あの時に限っては遊んでいればよかった、と思うシチュエーションがいくつかあるよ。

高校受験期の時もたぶん一番勉強したのを覚えているが、その時も"終わり"が見えていたんだったかなぁと思う。

それ以降は、大学受験のためという名目を作って勉強していた。

 

思えば、今もその一面があるかもしれないが、形式面からやたら完ぺき主義なところがあったかもしれない。所謂受験にはあまり向く性格とは言えないやつだ。

 

今、勉強の一環と称し、LaTeXで書いているものがあるが、それも完璧主義は絶対に捨てて、拾うべきところから拾い、なぜ書いているのかを明確にせねばと少し思い始めていたところだ。

 

ただ前は、ノートにキラベンみたいなことをしなければいけなかったが、今は比較的

簡単に、データとしてまとめれる。個人的にはラッキーだ。

う~ん自分が新しく、数学書を書いたとして今のままで売れるだろうか。(わりと不可能に近そう。)

 

数学の問題を載せまくってるのにアクセス数が内と同じくらい悲惨なブログを見つけてしまい何とも言えない気持ちになってる。

 

こんな風に、勉強する理由を承認欲求に持って行ってしまうと、承認されるタイミングが失われてしまうと勉強する動機がなくなってしまうんですよね。

 

競プロは赤を目指したいですね......

 

大学以降の学問でも競技っぽいものを終着点に勉強してみるのもありなのか...

(学問への冒涜とかそれはそれで言われそうだが、それに...いや、う~ん、上手く言語化できない。)

 

大学以降の受験分野ほど競われていない分野に参入してみるのはありかも、じゃあ大学院の対策を練りたいかって言ったらそうではないが、大学院の入試とかが、大学受験レベルで加熱しても面白そうといえば面白そう。

 

終着点が見つからないと、文書とか作成したり読み込んでるときに、どこまでどう読み込み作りこむのかというのが見定められない。

某MCが当初やろうとしてた、全科目のコンテスト開催目指すのは普通にありよな。

(ただ、そうするとサイト構築とかプロモーションとか人集めるのも難しそう。)

SNSとかも3年くらいやってもだれも見てもらえなかったり、他の自分も包含され得るものを対象とした誹謗中傷を見ると心底嫌気がさすんだよね。あの手のところでしか宣伝できないのもなぁ、広げるべきは交友関係な部分もあるんだけどねぇ。いまかんけいないけど、やっぱTwitter戻る? 

(割と不快な内容が目に付くから憚られる。)

 

ただ、すぐに各理論分野の研究を理解できたり、諸分野の論文を読み込めるだけの圧倒的な学力が欲しいよね。

各分野で即戦力足り得る文書を作成する。

 

他国の大学以降の学習モチベとか、科学競技の行く末も興味あるんだよな。先進国だと、大学とかでも数学だけでなく、物理とかの大会も開かれてるみたいだし。

 

数学オリンピックの代替たりうるところを終着点として、そこで活躍して骨を埋められたら、幸いね。

 

ただ、時間が4,5年が残りじゃ足りない気がするしなんだかんだでお金も必要そう。(残りを4,5年すら取れるかもわからんし)

 

交友関係も広げるべきなんだろうけどねぇ、

 

 

せっかく、大学生の頃はよい作品を作りまくってたのに、それ以降音沙汰がなくなった人たち

 

大学生の頃は切れ味鋭く諸分野で活躍し目立っていたのに、それ以降は鬱文章しか流さなくなった人たち

 

ある地点から、いや、始まるところなく始まり、終わりに向かっていく。

悲惨な過程を経て、一瞬にしてではなく永い苦しみを経て、そして永いことなどなく一瞬にして地へと消え果てる...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらは、自分への整理のために書いたものである。不十分なところだらけであろう。